スプラッターだとか、酔っ払いのパッパラパーだとか──『悪魔がいけにえではらわたで私』

折田侑駿

 同じことを何度も言う。数分前と言っていることが違う。数日前の発言に関して、そんなことは口にしていないなどと言うーー。これらはすべて、酔っ払いどもの典型的な症状である。このどれかが当てはまる人間と一緒に過ごす際には、注意深く観察する必要があるだろう。もしかするとそこには何か、サインのようなものが含まれているかもしれない。

 ともあれ、最後の「忘却」は別として、発言の「反復」と「変更」には耳を傾けてみる価値があるのではないかと思う。大切なことは繰り返し念押しして伝えるべきだし、前言の訂正は、飲酒と対話の積み重ねの中で、酔っ払っている当人がポジティブな変化を遂げているかもしれないからだ。

 日本には宇賀那健一という映画監督がいる。私の好きな作家のひとりだ。いや、正直に言うと、彼の作品のすべてを順を追って一貫して愛し続けてきたわけではない。宇賀那監督の手がける作品のバリエーションは豊かというにも程がある。過激なジャンル映画も撮れば、切実なメッセージを内包したアート色の強い映画も撮るし、この日常を生きる“私たち”にスポットを当てた作品もある。

 人それぞれに好みは違うものだから、はじめに触れた作品が肌に合わないと、その後は色眼鏡で見てしまうことになるかもしれない。けれども彼のフィルモグラフィーを俯瞰して見たとき、そこに浮かび上がってくる何かがある。いずれも彼の強い「関心」から生まれたものだ。柔軟な視点と態度で社会を見つめ、異常なまでのスピードで次々と新作を手がける。時代が変われば社会も変わる。社会が変われば物事の価値観も変わる。そこには「忘却」ではなく、真剣な「反復」と「変更」がなければならない。

 最新作『悪魔がいけにえではらわたで私』は、特別な説明もなしに登場人物たちが人ならざるものへと姿を変え、おかしな液体と血を撒き散らしながら、阿鼻叫喚の地獄絵図をつくり上げていく。が、すべてが突拍子もないため、怖れよりも笑いのほうが込み上げてくるというもの。ビールをガブ飲みしながら愉しむべき作品である。上映時間は60分。トイレ問題もあまり心配しなくて大丈夫なはずだ。

 それにこの映画は短い時間の中で、何度か大きな転調をする。その過程で見えてくるテーマもまた、「反復」と「変更」だったりすると私は思う(個人的な読み方とはいえ、あまりにもこじつけが過ぎるだろうか……)。ケラケラ笑っていたものの、気がつけば涙がホロリと頬を伝っている。この読後感に浸りながら、私はお気に入りのウイスキーを舌の上に乗せた。シビれた。

 人は思いがけない作品から教訓や発見を得るものだ。この連載で何度も書いてきたものだが、それは飲み屋での思いがけない出会いにも言えること。スプラッターだとか、酔っ払いのパッパラパーだとかに臆するべからず。出会いの現場には必ず何かがある。柔軟な視点と態度で。私たちは試されている。

『悪魔がいけにえではらわたで私』
R15+
監督 / 宇賀那健一
出演 / 詩歩、野村啓介、平井早紀、板橋春樹、遠藤隆太、三浦健人、ロイド・カウフマン
公開 / 2月23日(金)よりヒューマントラストシネマ渋谷、池袋シネマ・ロサ、シネマート 新宿ほか
配給:エクストリーム
©『悪魔がはらわたでいけにえで私』製作委員会

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DOKUSOマガジン2月号(vol.29)、2月5日発行!表紙・巻頭は前田敦子、センターインタビューは東出昌大!

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折田侑駿 文筆家

“名画のあとには、うまい酒を”がモットー。好きな監督は増村保造、好きなビールの銘柄はサッポロ(とくに赤星)。

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