広島国際映画祭でのキム・ジョングァン監督との再会に寄せてー映画『夜明けの詩』【根矢涼香のひねくれ徘徊記 第28回】

根矢涼香

 よいシミ、ハゲ、すむにだ。「頑張ります」という韓国語を教えてもらったのだけど、忘れてしまわないように無理やりな語呂合わせで頭に叩き込んだ。いつか韓国を訪れて撮影のクランクインの挨拶で堂々と言えたら……など妄想を膨らませながら頭の端っこでは、そうやって皮算用などせずにちゃんと言語の勉強はするべきだ、英語もままならないのに。とセルフ叱咤が開始する。

 新宿ゴールデン街のお世話になっている店主から、会わせたい監督がいるからと連絡があり、席を空けてくれていた。奥のカウンターに座っていたのは柔らかな笑顔をした、韓国のキム・ジョングァン監督だった。映画の話に限らず、同じ種類のお酒を頼んだり、趣味の写真の話をして、時間はあっという間に過ぎていく。暖色の灯りの下でまた会えますようにと挨拶を交わす。入り口扉の内側に貼ってあるのが、ジョングァン監督の『夜明けの詩』のチラシだ。私も大好きになったこの映画を今回紹介したい。

 まだ冬が残るソウル。小説家のチャンソク(ヨン・ウジン)は、妻をイギリスに残し7年ぶりに帰ってくる。自らの経験をもとに小説を出版する為、懐かしさに思いを馳せながらソウルでの日々を過ごす。そこで出会う、喫茶店で誰かを待つ女・ミヨン(イ・ジウン/IU)、秘めた過去を燃やす編集者・ユジン(ユン・ヘリ)、妻が病に侵され希望を求める写真家・ソンハ(キム・サンホ)、客の記憶と引き換えに酒を奢るバーテンダー・チュウン(イ・ジュヨン)。心に深い葛藤を抱えながらも、人生を歩み続ける4人との出会いを経て、チャンソクは心に閉ざしてきた記憶と向き合い、新たな物語を紡ぎだすーー。

 人物たちによってそれぞれの喪失や死が語られていくのだが、辿り着く感情は穏やかな癒しに近い。例えるならーー外は雪が降っていて、時計は深夜の3時頃。なかなか眠りに就けず、散歩に行くには寒すぎる。心地の良い静寂に身体を委ねて、瞼の裏で過去の道を歩くことにする。後悔、不安、諦念が渦を巻く。温かな、いつかの思い出も一緒に。夜が明ける頃、ようやく眠たくなってきて、夢と現実が混ざっていく。誰かの記憶の中を彷徨って、永い眠りから覚めたような気持ちになる、そんな映画だ。鑑賞というよりも体験に近く感じるのは、ジョングァン監督の手腕だろう。バーのシーンは新宿でのエピソードが元になっていると教えてくれた。まさか、数カ月後に再会できるなんて思いもしなかった。実はこのとき監督の隣に座っていたのが、広島国際映画祭の代表である部谷京子さんだった。彼女は数多くの日本映画の美術監督をされており、以前瀬戸内海で撮影した映画『とべない風船』でご一緒していた。この飲み屋で起こる出来事はいつも、映画のシーンのように記憶されている。

 15年目を迎える広島国際映画祭は、平和記念公園での慰霊献花から始まる。今年からは韓国人原爆犠牲者慰霊碑にも献花が行われることになった。私は今回初めて、国際短編映画コンペティションの審査員という形で参加させて頂いた。フィリピンのブリランテ・メンドーサ監督、キム・ジョングァン監督と私の三人で、様々な国の短編を観て話し合い、賞を決定する。日本語に英語、韓国語やタガログ語が飛び交う会議室。これまでは審査される側の立場であったため、新鮮かつ慎重な体験となった。最後の夜はそこに集った製作者の皆が別れを惜しみながら、いつかの再会を誓い合う。時間が経った今でもその光景の美しさを思い浮かべると、私のストレートネックも自然と目線より少し上の、未来の方角を広く見渡そうとしている。 “ポジティブな力を持つ作品を、世界中から集めた映画祭”をコンセプトに掲げ、中心に立つ部谷代表の人柄もあってか、これからも映画文化に携わっていきたいという希望を心に抱かせてくれる場だ。故郷の風景や使う言語が違くても、映画に込める願いや愛の温かさが同じであることを再確認して嬉しく思うし、戦争のニュースが飛び交う今、文化活動ができることの重さと平和の尊さをこの広島という場所で実感した。

 その人の世界の感じ方を知ることが出来る、心の窓辺が映画だと思う。作り手と顔を合わせて人となりに触れ、作品の中で感性に触れ、繋がりが層を重ねていく。過去にこの映画祭に参加した監督陣も、新しい作品を引き連れて戻ってくる。まるで、円周を増やしながら突き進んでいく文化のハリケーンのようだ。ああ、これだ。コロナ期以降久しぶりに、映画祭の醍醐味をたっぷりと感じられた。冒頭の韓国語を教えてくれたのは、晴れて再会を果たすことが出来たキム・ジョングァン監督だ。2024年はどんな出会いが待っているだろう。国境を越えていく文化の磁力を、私は信じたい。 ヨルシミハゲッスムニダ!

『夜明けの詩』
Blu-ray:¥3,700(税込)
発売元:シンカ
販売元:TCエンタテインメント
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根矢涼香
ねやりょうか|俳優
1994年生まれ。根矢涼香。1994年生まれ。広島国際映画祭では、私が『夜明けの詩』で一番好きなキャラクターである、バーテンダー役のイ・ジュヨンさんにお会いできた! ここに添えたイラストは、ラブレターの代わりです。

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DOKUSOマガジン1月号(vol.28)、1月5日発行!表紙・巻頭は岡山天音、センターインタビューは綱啓永!

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根矢涼香 俳優

1994年9月5日、茨城県東茨城郡茨城町という使命とも呪いとも言える田舎町に生まれる。近作に入江悠監督『シュシュシュの娘』、野本梢監督『愛のくだらない』などがある。石を集めている。

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