ソフィア・コッポラが異世界的愛おしさたっぷりに描いたTOKYOー映画『ロスト・イン・トランスレーション』【根矢涼香のひねくれ徘徊記 第26回】

根矢涼香

 履いているサンダルが崩壊し始めてから、私はヨーロッパの石畳の歩道を舐めてかかっていたのをやっと認める。あちこちに建つ大聖堂の美しさに見惚れる一方で、無宗教の私には浮遊感がある。ローカルなビーチに来たのは良いけれど、カラフルなパラソルで陣取られる中で私が入っていい砂場が分からず、少し離れた場所で潜った。人生の殆どの時間を日本で費やしてきた私は、この異物感覚を味わうことはほぼなかった。少しの興奮と漠然とした心細さが自分を包む。幸福なことだったのか、恥ずべきことなのか。海中の魚も同じ種類で群れている。考えているうちに溜めた空気を使い果たして水から上がると、離れた岩場に一人の大きなリュックの男性がいて、泳ごうとしているようだった。親近感を感じて挨拶をすると、彼も静かに微笑んで、ハイ、と答えて海に入っていった。シチリア島の青い海を前にしてもなお、私はあれこれ思いながら石拾いをしている。

 シチリアといえば思い浮かぶ、レモンとマフィアのイメージ。『ゴッド・ファーザー』の影響は大きい。観光誌で見るような華やかで概念的なイタリアだけを歩こうとすると、そのギャップにどこかでつまずく。これはどの国に行っても同じだろう。私は異国の地を独り歩きながら、フランシス・フォード・コッポラの娘であるソフィア・コッポラ監督の『ロスト・イン・トランスレーション』を思い出していた。私の大好きな一本だ。

 物語の舞台は2000年代の日本・東京。映画俳優のボブ(ビル・マーレイ)と、若い女シャーロット(スカーレット・ヨハンソン)。パーク・ハイアットにそれぞれ滞在する二人は、傍から見れば幸せそうだが、行き詰まりを感じている。ウイスキーCMの出演で来日したボブは有名人であるがゆえホテルでも完全に独りにはなれず、家に残してきた妻からの電話は日本との時差関係なく鳴り響き、あきらかにすれ違っていることが分かる。一方、夫の仕事についてきたシャーロットは、長すぎるひとりの時間を持て余して憂鬱になっていた。生け花やお経に触れても感じ方が分からない。自分がこれから何をやりたいのかもよく分からず、友人に電話で話そうとするも、うまく伝わらない。そんな二人が偶然の出会いを重ね、東京の街を駆け巡り、友情とも恋愛ともつかない親密なひとときを過ごす。

 20代で日本に滞在したという監督が切り取る、異世界的愛おしさたっぷりに描かれたTOKYO。武道や茶道などの典型的なイメージの日本ばかりでなく、監督が目にした若者文化に焦点を当てている。多少ポップに強調されていようとも、海の外の目線だからこそ、この国のヒトの形を見てとれるのはとても面白い。ボブにとって悲劇としか言いようがないが、時代感と胡散臭さを放つCMディレクターの雑な演出と、気を使いすぎて最低限しか伝えない通訳、おかしなテンションのTV番組出演など、異様なメディアの渦に困惑しながら投げやりになる姿は、笑いながらも同情せずにはいられない。令和とはまた違う、アナログとデジタルのスクランブル具合が絶妙だ。

 異なる文化と言葉に囲まれていることはもちろんだが、おそらく二人を結び付けたものは、帰国してもなお消えることのない孤独さだろう。そして二人とも、相手に対して自然な距離感を持っている。例え分かる言語を話していても、心がうまく通じ合えるとは限らない。

 それにしても、自分が一人きりで海外に来るのなんて初めてじゃないだろうか。決して石を拾う為に海を越えてきたのではない。シチリア島で作られる短編映画への出演で来ていた。全員がイタリア人の中、主人公の日本人役を演じる。嬉しかったのは、私の言語力は十分でなかったはずなのに、撮影の行程を難なく進行しながら、スタッフ・キャストの皆と距離を縮めていけたことだ。皆が私の心を聞こうと寄り添ってくれたためでもあるし、私もすべてを伝えきることは不可能だと分かりながら、表情や目を存分に使ってコミュニケーションを試みた。うまく伝えられないもどかしさと、何かが疎通できた時のうれしさが引っ張り合う。すると、新たな人間関係を築き上げるスピードが日本よりも早く、独特の結びつきをもって感じられた。それは相手が楽観的で情熱的なイタリア人だったからではなくて、私たちが共通して「映画」という言語を持っていたからだ。

 ロスト・イン・トランスレーションとは、「言語が翻訳される過程でその文章が持つ本質的な意味を失ってしまうこと」を言うらしい。彼らとはおなかの言葉で話せていたと願いたい。本当の感情は、言葉を越えて先に目の中に飛び込んくる。瞬きをする間に時は過ぎて、東京の町でこれをしたためている。現像したフィルム写真と、背中の日焼け、ガチガチに凝ったこめかみ。これが私の2週間の証人だ。

『ロスト・イン・トランスレーション』
配信 / Amazon Prime Video「スターチャンネルEX」にて配信中
提供:東北新社
©2003, Focus Features all rights reserved

根矢涼香
ねやりょうか|俳優
1994年生まれ。イタリアの撮影スタッフには、スタジオジブリ作品のタトゥーを彫っている人が数人いた。『君たちはどう生きるか』の上映を心待ちにしているそうだ。もちろん、私は何も明かさなかった。

文 / 根矢涼香 撮影 / 西村満 スタイリスト / 山川恵未 ヘアメイク / 牧口友紀(TOKYO LOGIC)

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根矢涼香 俳優

1994年9月5日、茨城県東茨城郡茨城町という使命とも呪いとも言える田舎町に生まれる。近作に入江悠監督『シュシュシュの娘』、野本梢監督『愛のくだらない』などがある。石を集めている。

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