人生に音楽があることの意味を思い出させてくれるー映画『ハイ・フィデリティ』【根矢涼香のひねくれ徘徊記 第22回】 2023.7.26
とある土砂降りの夜、その日観た映画があまりハマらなかったので、一杯飲みたくなって知り合いのバーに立ち寄った。いつもなら金曜はお客さんでいっぱいのはずだが、椅子に座るのは二人のみ。ドアを開け、目が合って、ハイ、と会釈してくれたのは、アメリカから来たという若い夫婦だった。この嵐でフライトがキャンセルになったから、飲むしかないのだそうだ。バーの2階のゲストハウスに泊まっているらしい。拙い英語力を駆使して会話を広げるうちに、音楽の話になった。二人はレコードを探しに日本に来ていて、女性の方は日本の古いポップス、男性の方はジャズが好きだと話してくれた。それぞれにおすすめ(プラスチックスやピチカート・ファイヴ、上原ひろみなど)を伝え、推しのレコードショップや、自分もレコードを集めているよと教えた。それならば、この映画をお薦めするよ! とスマホ画面でポスターを見せてくれた。
スティーブン・フリアーズ監督『ハイ・フィデリティ』
レコードのジャケットに並ぶ男の顔。見覚えがある。4年前に観たことがある映画だった。面白かった記憶があるし、こういう形での映画との再会は大好物だ。もう一度観てみよう。
音楽をこよなく愛するロブ・ゴードン(ジョン・キューザック)は、シカゴの小さな中古レコード・ショップのオーナーだ。音楽へのこだわりがあまりに強すぎるためか店のほうはパッとしない。回転するレコード盤のドアップから映画は始まる。ヘッドフォンをしたロブがカメラに向かって語りかける。「失恋するから音楽を聴くのか。音楽を聴くから失恋するのか」すると背後から同棲しているローラ(イーベン・ヤイレ)が登場するやいなや理由も告げずに部屋を出ていってしまう。
イギリスの作家ニック・ホーンビィの同名小説を映画化した、卑屈で正直なヒューマン・ラブ・コメディだ。主演のキューザックは、脚本や音楽監修にも参加しており、ひねくれた音楽オタクぶりを見事に演じている。
過去のつらかった失恋トップ5を振り返り、相手の女性たちのもとを訪ねて自分と別れた理由について、何がいけなかったのかを問いただしていくのだけれど、まずロブがクズなので、彼の周りの女性たちに同情&応援してしまう。ロブの悲惨な恋愛遍歴を楽しく観ていられるのは、ケミカル・ブラザーズ、クイーン、エルトン・ジョン、ボブ・ディランなどの名曲が並んだサウンドトラックのおかげだ。
共演のジャック・ブラックが演じる、レコード屋のアルバイト店員の高慢なウザさもむしろ気持ちがいい。こんな店員いたら嫌だわーと思うのだが、音楽に対して愛情が深すぎるロブや仲間たちのあけすけな態度は、あまりに素直すぎてどこか嫌いになれない。まるで実際にいる誰かの趣味や失恋にまつわる愚痴を聞かされているかのようなリアルさだ。ロブは自分の部屋のレコードを、年代順でもアルファベット順でもジャンルごとでもなく、自分の思い出の順番で並べている。音楽が記憶の再生装置になることは、誰しもあるはずだ。ハイ・フィデリティってどういう意味だろうと思って調べると、なるほど、「原音に忠実に再生された音」のことをいうそうだ。
流行りにはとことん疎い私が音楽を聴く時、それは出会った人が教えてくれたものだったり、今の自分の気持ちを知るためのもので、そのときの心音に近い音楽を求めて、瞑想に入る感覚かもしれない。どうにもならない感情の高ぶりを代弁してくれる友人であり、未熟だった頃の自分への簡易的タイムスリップだ。ロブがある人に向けてカセットテープを作る場面があるのだが、その手作業が羨ましくて仕方がない。
自分の人生のサウンドトラックを作るなら、どんなになるだろうか。想像するだけで1日が終わってしまいそうだ。映画全体の失恋問答は本当にどうしようもないのだが、人生に音楽があることの意味を思い出させてくれる。私がいつもお世話になっているレコード店の店主は、今の自分の感情を伝えるとピッタリの音楽を処方してくれて、店内で音楽をかけてゆるく一緒に踊ってくれるような、最高の休み処だ。
その日はずぶ濡れの足元で帰路につきながら、不快どころか軽いステップを踏んでいた。ロブほど捻じ曲がる必要はないけれど、どうせ生きてたらむしゃくしゃしてしまうのが私たちだ。音楽に関わらず、過去のアーティストたちの情熱に寄りかかって進んでいくことは、人間に生まれた醍醐味かもしれない。芸術はきっと世界共通の心のお薬なのだ。
『ハイ・フィデリティ』
Blu-ray発売中
デジタル配信中(購入、レンタル)
発売 / ウォルト・ディズニー・ジャパン
© 2023 Buena Vista Home Entertainment, Inc.
根矢涼香
ねやりょうか|俳優
1994年生まれ。7月3日放送スタートのBS松竹東急ドラマ「カメラ、はじめてもいいですか?」に八重樫ナギ役で出演中。ネヤ役を演じた磯部鉄平監督映画『凪の憂鬱』が公開中。
文 / 根矢涼香 撮影 / 西村満 スタイリスト / 山川恵未 ヘアメイク / 木内真奈美(OTIE)
今回の記事を含む、ミニシアター限定配布のフリーマガジン「DOKUSOマガジン」7月号についてはこちら。
DOKUSOマガジン7月号(vol.22)、7月5日発行!表紙・巻頭は清原果耶、センターインタビューは染谷俊之×吉田美月喜!
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1994年9月5日、茨城県東茨城郡茨城町という使命とも呪いとも言える田舎町に生まれる。近作に入江悠監督『シュシュシュの娘』、野本梢監督『愛のくだらない』などがある。石を集めている。