酒場で身につける「聞く力」──『夢の中』

折田侑駿

 2010年にデビューを果たして以降、私はずっとプロとしてやってきた。しかし、もうダメかもしれない。ひとりの酒飲みとして終わりつつあるのだ。ついに超えてはならないラインを超えた、というわけではない。私は超えてはならないラインの上につねに立ち続け、綱渡りするようにこれまで歩んできた。“酒飲みとして終わりつつある”というのは、酒のある場からこの身を遠ざけようとしてしまっていることだ。

 ユルめの文筆業と並行してハードな飲酒活動を展開させてきたが、いよいよ両立が難しくなってきた。どちらが本業なのか分からない状態が続いていたので、「とうとう断筆して飲酒に専念ですか」と声をかけてくる人が多くいる。違うのだ。文筆業が楽しくてしょうがない。深酒ばかりしていてはこちらに支障が出る。だから日常的な飲酒量を減らすようになったのだ。

 そんな日々の中で、都楳勝監督による『夢の中』に出会った。これはなんとも不思議な映画である。男女の関係が描かれているのだが、主人公のタエコ(山﨑果倫)という女性も、ショウ(櫻井圭佑)という男性も、ふたりがなにを望み、なにを欲しているのかが分からない。物語なるものはあるようで、なく、ないようで、ある。ふたりの生きる現実と過去の記憶とが溶け合い、その境界はシーンを重ねるごとに曖昧になっていく。まさにタイトルどおり、まるで夢の中にいる気分になってくる。

 けれども私はこの映画を観て、「分かる」と思った。感覚的なものかもしれない。タエコとショウの発する言葉はどこか観念的で抽象度が高く、うまく噛み合っていない。というかほとんどズレ続けている。「夢の中」なのだからなんだってあり、だともいえるが、そもそも私たちは具体的で精度の高い言葉ばかりを用いて他者とコミュニケートできているだろうか。そんなはずはない。たとえ日本語という同じ言語を話していたとしても、享受してきた文化が異なれば発する言葉の中身も変わる。むろん、そこに含まれる情報の質感だって違ってくる。世界の共通言語は英語ではない。笑顔でもない。私とあなたの間でだけ通じ合う情報を見つけられたとき、それが共通言語となるのだ。タエコとショウはやがてこれを見つけられたように私には思える。

 酒のある場に私が向かうのは、酒を欲しているからだけではない。酔っ払って気持ちよくなるのが目的の時代はとうに過ぎた。バカ騒ぎしてしまうこともあるが、これも決して目的なのではなく、結果としてそうなっただけのこと。他者との共通言語を見つけられたとき、私はほんとうの意味で「ひとりじゃない」と実感することができる。酒のある場にはさまざまな文化的背景を背負った人々が集まってくる。これまでに私は、100も1000も10000もの共通言語を発見してきた。文筆業のひとつにインタビュー記事の執筆というものがあるが、私のインタビュー術は酒場で身につけたものだと断言できる。いまそうした場から足が遠のいてしまっているのは、インタビュー仕事を忙しなく重ねているうちに、いくつもの新たな共通言語を発見できているからなのかもしれない。「聞く力」とは、この発見する力のことなのだと私は思う。

 コミュニケーション能力を向上させることが、いつの時代においても奨励されている。その術を身につける極意らしきものが記された書籍も数多く世に出回っている。しかし私としては書を読むよりも町へ出るべきだと考えている。酒場にて生まれる関係ごとの共通言語を探すのだ。などと書いていたら、町へ繰り出したくなってきた。飲み助シップに則り、適量飲酒での対話を試みる。飲酒宣誓!

『夢の中』
監督・脚本 / 都楳勝
出演 / 山﨑果倫、櫻井圭佑、アベラヒデノブ、金海用龍、森崎みのり、玉置玲央、山谷花純
公開 / 2024年5月10日(金)より、アップリンク吉祥寺ほか全国順次公開
©「夢の中」製作委員会

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折田侑駿 文筆家

“名画のあとには、うまい酒を”がモットー。好きな監督は増村保造、好きなビールの銘柄はサッポロ(とくに赤星)。

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