濱口竜介監督作品の肝となる“自発性と偶然性” 『悪は存在しない』インタビュー 2024.4.26
濱口竜介に世界3大映画祭制覇の快挙をもたらした第80回ヴェネチア国際映画祭 銀獅子賞受賞作品『悪は存在しない』が4月26日よりいよいよ日本の映画ファンに届けられる。第74回カンヌ国際映画祭脚本賞を受賞した『ドライブ・マイ・カー』の音楽を担当した石橋英子からの映像制作の依頼を受けたことがきっかけで制作された本作は自然の風景がとても印象的だ。制作の経緯から、映画制作の現場で重要だと話す自発的な演技と偶然性について話を聞いた。
僕は“社会的なギャンブラー”として映画制作を続けている
──本作は長野県の水挽町(みずびきちょう)という架空の町が舞台になっています。その場所を選んだ理由は、共同企画者である音楽家の石橋英子さんからのオファーがきっかけだったそうですね。
「制作に先立って石橋さんのご自宅に行って、セッションを撮らせていただいたことがありました。長野県と山梨県の県境ぐらいのところなんですけど、石橋さんはご自宅の窓を開けっぱなしにして、爆音でギュインギュインやってるんですよ。でも、自然の中なのでどこからも文句は来ない。その光景を見て、僕はその音楽が生まれているところで撮るのがよいのでは、石橋さんの作る音楽に自然の風景がハマってくるのではないかという予感を持ちました。石橋さんの音楽は、音数が極端に多い訳ではないけれど、繊細に重なっているような感じがするので、それと調和するような自然のレイヤーと蠢きを映像でも表現したいなと思いました」
──脚本を書き上げるにあたって石橋さんからどんな要望がありましたか?
「特にはないです。セッションの風景に既存の映像等をはめて、石橋さんに渡したら、『普通にやった方がもっと面白いと思います』とだけ言われて。確かに自分が本当にできる得意なことをやらないと石橋さんの音楽に拮抗したものにはならないなという気がしました。僕にとって“普通”にやるっていうのは、脚本を書いてちゃんと演出するということ。主には、セリフを通じてちゃんとその人物がそこに存在しているようにもっていくことです。でも、今回のようなライブパフォーマンス用の映像となると言葉は消えてしまうので、セリフだけでなく、被写体の存在をちゃんと立たせていくことをいつも以上に意識しました。それは人物だけでなく自然や動植物等に対しても同じです。俳優たちにとっては無理由にアクションをさせるよりも、物語があった方が演じる方も理解がしやすい、カメラの前に立ちやすいだろうなと思い、脚本を書きました」
──脚本の役割とともに今回のような自然の風景も作品の大きな要素として成り立たせる上で重要だと思うことはなんですか?
「演じる人にとって、やるべきことが決まっているというのは一つの安心材料になります。その中で、このセリフは言わなきゃいけないし、この動きはやらなきゃいけないんだけど、どうやらそれを〈どうやってもいい〉らしい、ということを演者にわかってもらうことが大事だなと。そうすると、決まった動きの中にもその人の自発的な反応というものが生まれてくるので。また今回みたいに人間だけでなく、自然や動物等その周りも含めてくると、偶然性もすごく重要になってきます。偶然撮れたもの、それはこのときこの瞬間にちゃんとこの天気で撮影できるだとか、この動物が来たときに撮れるだとか。そういう一つひとつの自発性と偶然性が、僕の作品の肝になっています」
──『悪は存在しない』というタイトルは、観る人によってさまざまな解釈ができるのではないかと思います。どんな意味が込められていますか。
「脚本のためのリサーチをしていて自然を眺めていたら浮かんできたタイトルなんですよね。天災は今年もすでにありましたが、でもたとえ自然からどれだけ暴力的なことをされたとしても、基本的には“自然が悪”とはならないですよね。それは、自然災害が多い日本特有の可能性もありますが、自然に対して善悪を見出すことは基本的にしない。そういうこともあって、映画の中で映っているようなああいう人気のない自然の中にいると、ああ、ここには悪は存在しないなと、そういう風に素直に思えてくるんですよ。では、その言葉を人間社会に当てはめるとどうなるか……という実験が本作、と言えるかも知れません」
──濱口監督の作品は、静かな皮肉と核心をついたストレートな言葉が印象的だと感じます。今まで、そしてこれからも監督が映像制作を続ける理由を教えてください。
「単純に、自分が楽しいと思えるということが一番ですね。逆に言うと、楽しくないなら、決してやりたくないぐらいつらい(笑)。自分にとっての映像制作というのは、ギャンブルに近い感覚があります。偶然をちゃんと捕えるということ然り。その偶然を捕えられたときの興奮は、ギャンブルで当たりのときにドーパミンが出ている感じとおそらくすごく近いんじゃないかなと。自分にとって良い偶然というものを起こし続けるための準備をどうすればいいかということを常に考えています。社会のためにはやってはいません。けれども、一方で映画制作というのは集団による極めて社会的な行為なので、自分だけが楽しんでいるだけでは決して続かない。続ける上では社会的に、ちゃんと他者へ配慮しないと、自分が楽しめる場所はなくなってしまいます。なので、なんていうんでしょう……僕は“社会的なギャンブラー”といった感じで映画制作を続けていると言ったところでしょうかね」
『悪は存在しない』
監督・脚本 / 濱口竜介
音楽 / 石橋英子
出演 / 大美賀均、西川玲、小坂竜士、渋谷采郁、菊池葉月、三浦博之、鳥井雄人、山村崇子、長尾卓磨、宮田佳典、田村泰二郎
公開 / Bunkamuraル・シネマ 渋谷宮下、K2ほかにて公開中
©2023 NEOPA / Fictive
長野県、水挽町。自然が豊かな高原に位置し、東京からも近く、移住者は増加傾向でごく緩やかに発展している。代々そこで暮らす巧(大美賀均)とその娘・花(西川玲)の暮らしは、水を汲み、薪を割るような、自然に囲まれた慎ましいものだ。しかしある日、彼らの住む近くにグランピング場を作る計画が持ち上がる。コロナ禍のあおりを受けた芸能事務所が政府からの補助金を得て計画したものだったが、森の環境や町の水源を汚しかねないずさんな計画に町内は動揺し、その余波は巧たちの生活にも及んでいく。
濱口竜介
はまぐちりゅうすけ|映画監督
1987年生まれ、神奈川県出身。俳優。「死仮面」が初監督作品。
1978年12月16日、神奈川県生まれ。2008年、東京藝術大学大学院映像研究科の修了制作『PASSION』が国内外の映画祭で高い評価を得る。その後も長編映画『ハッピーアワー』が多くの国際映画祭で主要賞を受賞、『偶然と想像』でベルリン国際映画祭銀熊賞、『ドライブ・マイ・カー』で第74回カンヌ国際映画祭脚本賞など4冠、第94回アカデミー賞国際長編映画賞を受賞。
撮影 / 池村隆司 取材・文 / 戸塚安友奈