ジョン・カーニー監督の映画作りに音楽が欠かせない理由ー映画『ONCE ダブリンの街角で』【根矢涼香のひねくれ徘徊記 第21回】

根矢涼香

あなたの好きな音楽映画はなんだろう? 歌って踊る夢のようなミュージカルも良し、偉大なアーティストの人生を知る伝記映画も譲れない。ジャンルは多々あれど、歌うことや音楽の中でしか話せない言語があると私は思っていて、作り出されたメロディと生み出す人間の半生が引っ張り合い、そこにはもうすでにドラマが完成している。言ってしまえばどんな音楽映画も大好きだ。そう言っていつもなら決めあぐねる私だけれど、今迷わず答えたい1本があるので、今回はそれを紹介したい。

ジョン・カーニー監督『ONCE ダブリンの街角で』

ダブリンの街角で毎日のようにギターをかき鳴らす男。その歌を聴いていたチェコ移民の女。ひょんなことから彼女にピアノの才能があることを知った男は、自分が書いた曲を彼女と一緒に演奏してみることに。すると、そのセッションは想像以上の素晴らしいものとなり……。

07年サンダンス映画祭で注目を集め、上映館が全米2館から口コミで140館まで拡大したラブストーリーだ。アイルランドのロックバンド、ザ・フレイムスのボーカル兼ギター、グレン・ハンサードが主人公の男を演じ、女を演じたマルケタ・イルグロヴァも、実際にチェコを中心に活躍するシンガーソングライターだ。今や『シング・ストリート 未来へのうた』や『はじまりのうた』で有名なジョン・カーニー監督は、なんとグレン・ハザードと同バントの元ベーシストだという。彼の映画作りに音楽が欠かせない理由が少し垣間見えてくる。

男が街で歌い、女がギターケースに金を投げ入れる。「たった10セントか」と男が呆気にとられることで始まる二人の出会いだが、生活的に余裕がなく働きづめの彼女がそれでも財布を開いて投げ入れた10セントだ。それは数字ばかりの重みではないはずである。男も掃除機修理工をしながら、それでも街に繰り出して歌い続ける理由がある。バスの車内で、男が女に過去の事を歌いながら説明する。照れ隠しにも見えて、可愛らしいシーンだ。思わずヒートアップし、同乗していたおばあさんが振り向くが、怒った顔をしているかと思いきや、老婆の口元は優しかった。金を盗んだ自称病人、不愛想な録音技師、テレビを見に来る隣人たち、銀行の融資担当者。二人の前を通り過ぎていく人たちは、一見通じ合えなそうに感じるが覗いてみると根は良い人そうだ。それぞれに、自分の生活を抱えている。

女が一人で歌うときの曲は、思うようにいかない現実を音楽に込めたようで、心が詰まりそうになる。男の弾くギターに合わせてピアノを重ね、彼の歌の船で旅をするときだけ、彼女は前向きな言葉を発せられるのではないかと考えると切なくなった。

なぜ今この映画を選んだのかというと、私も春に初めて路上に立って歌う経験をしたのである。当時公開を控えていた映画『凪の憂鬱』の劇中で、私がシンガー役として歌う曲があるのだが、その曲を制作してくださったハロルドさんが、東京でライブをすることになった。そして、映画の宣伝も兼ねて、私も一曲だけ参加させていただくことに。とはいえ、カメラの前で役として言葉を発することと、人前で自分として歌うことはまるっきり違う。絶対に緊張する自分を見越した私は、ハロルドさんの路上ライブにもご一緒させてもらうことに決めた。観に来てくださるお客様ではなく、私のことを知らない全くの他人を前に歌うのだから、より自分の度胸が必要なことを経験しておけば少しはハートが強くなることを期待していた。

横浜と新宿でそれぞれ数時間、見知らぬ人たちに向けて自己紹介をする。最初の一回目はもはや自分の声が聞こえないくらいに、見える景色の全部が新しくて、必死に歌詞をたどっていた。ハロルドさんの東京の友人が代わるがわるやってきて、カホンやギターで即興の演奏に加わる。音楽って言葉なしでそういう会話ができるから、心底羨ましい。足を止めてくれた会社帰りのおじさん、隅っこでじっとリズムを取っていたギターを背負った男の子、にこやかに観ていてくれた女子高生二人組や、小銭をいれながらサムズアップをしてくれる外国の子供たち。次々に人が現れては去り、また現れて、街の一部になって世界を眺めているようだった。

“ONCE”は「ひとたび」「かつて」を意味する。全てが理想の通りには進まない人生の中で、それが単なる偶然だとしても、一度出会ったらたちまち動き出すものは、運命と呼んでいいに違いない。登場人物の名前は、最後まで分からない。手持ちカメラの映像で、ドキュメンタリー的に彼らの行く末を見守っている。どこかでたった今もこんな物語が起こっているかもしれないと、そう思わせてくれる最高の一作だ。

根矢涼香
ねやりょうか|俳優
1994年生まれ。路上ライブ中、どなたかが投げ銭をしてくれた千円札は、初めて私が歌でいただいたお金になった。使うのが勿体無くて、玄関に飾っている。

文 / 根矢涼香 撮影 / 西村満 スタイリスト / 山川恵未 ヘアメイク / 木内真奈美(OTIE)

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DOKUSOマガジン6月号(vol.21)、6月5日発行!表紙・巻頭は光石研、センターインタビューは山田杏奈!

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根矢涼香 俳優

1994年9月5日、茨城県東茨城郡茨城町という使命とも呪いとも言える田舎町に生まれる。近作に入江悠監督『シュシュシュの娘』、野本梢監督『愛のくだらない』などがある。石を集めている。

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