『セールス・ガールの考現学』と“酔いどれ男の考現学”

折田侑駿

ここ数回は晩酌のことばかり書いていたので、そろそろ酒を飲む「場」について書こうと思う。なにせ外に出るのが気持ちのいい季節になってきたのだから。ここはひとつ、あまり馴染みのない街まで繰り出し、ネットで表示される口コミや星の数などの情報に頼ることなく、自分の嗅覚で気になる店を見つけてその暖簾をくぐってみたいもの。店ごとに客層は異なるはずだが、できるだけその街に根を張る常連客が集うところがいい。手厳しい洗礼を受けることになる可能性もあるけれど、その街に住みたいとさえ思ってしまうほど歓迎されることだってあるかもしれない。つまり、意を決して飛び込んでみなければ分からないことがある。同じ時と場を共有してみないと分からないことがある。そしてそこには、良いことも悪いこともひっくるめた学びや発見がある。

モンゴルから届いた『セールス・ガールの考現学』は、そんな「場」でさまざまな人たちと交流をしていくうちに目の前の世界が開けていく、女性が主人公の物語だ。しかもその「場」というのがアダルトグッズの専門店。物静かな大学生のサロールは、もともとそのようなものに興味があったわけではなかったが、そこでアルバイトをしているクラスメイトがケガをして働けない期間だけ代理で働くことに。ここを出入りする人々や、店のオーナーであるカティアとのいろいろな交流を経て、サロールは少しずつ変わっていくことになるのだ。

アダルトグッズの専門店というと、私はまったくといっていいほど馴染みがない。かといって興味がないわけでもなく、いまのところ行く機会がないだけ。私が金を使いに行くのはアパレルショップと本屋と居酒屋ぐらいのものなのだ。これらに給料のほとんどをつぎ込んでいて、いま書いているこの記事の原稿料もすぐに飲み代に変わるだろう。そしてまた次の原稿を書くのだから、うまくできているといえばできている。居酒屋は私にとって、ネタの宝庫なのだ。ネタのすべてが物書き仕事に生きるわけではないものの、少なくとも自分の人生における学びや発見にはなっている。どんな些細なことでもだ。

取り扱っているビールの銘柄は何か、どんな日本酒を置いているのか、お通しの小鉢は何なのか、器はどこの焼物なのか。梅水晶はあるのか、その価格はいくらなのか、これまで食べたものとどんな違いがあるのか。焼酎のボトルキープはどの客がしているのか、その客とお店の人の関係性はどういったものなのか。レモンサワーにはレモンが入っているのか、入っているのならそれは輪切りなのかくし切りなのか──。初めて訪れた居酒屋でこれらのことを観察していると、そこがどんな店で、人々にとってどんな「場」であるのかが自ずと分かってくる。もちろん、そこに居合わせた酔客や店主と言葉を交わすことができれば、もっと具体的に多くのことが見えてくるだろう。そしてそこでの学びや発見は、人を知り、社会を知り、自分が成長することにつながる。これが“酔いどれ男の考現学”である。

私は魚釣りをしないため釣具店に行くことはないが、かといって興味がないわけでもなく、いまのところ行く機会がないだけ。家具屋にも行かないが、行く機会がないだけ。パチンコ店にも行かないが、機会がないだけ。いざ行ってみれば、思いのほかたくさんの出会いがあるのかもしれない。そうすれば世界の見え方は変わるものだし、自分だって新しく生まれ変わることになる。初訪問の飲み屋でもしばらく観察を続けていると、なぜ自分がここにやってきたのかが分かることがある。これぞ、“酔いどれ男の考現学”なのだ。

『セールス・ガールの考現学』
監督・脚本・プロデューサー / センゲドルジ・ジャンチブドルジ
出演 / バヤルツェツェグ・バヤルジャルガル、エンフトール・オィドブジャムツ
公開 / 4月28日(金)より新宿シネマカリテ、ヒューマントラストシネマ渋谷 他
©2021 Sengedorj Tushee, Nomadia Pictures

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DOKUSOマガジン4月号(vol.19)、4月5日発行!表紙・巻頭は池松壮亮、センターインタビューは細田佳央太!

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折田侑駿 文筆家

“名画のあとには、うまい酒を”がモットー。好きな監督は増村保造、好きなビールの銘柄はサッポロ(とくに赤星)。

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