気持ちの余白を埋めてくれる映画『散歩する植物』【根矢涼香のひねくれ徘徊記 第17回】 2023.2.9
ただなんとなく木に抱きついてみた。私の両腕では抱えきれない太い幹。冬の空気がしっとり染み込んだ樹皮が頬に冷たくて気持ちがいい。少しの間、俗世から離れられる気がする。友人と公園を散歩していたら見つけた[樹齢70年のクスノキ]。そう書かれた札が立ててあった。私が生まれる前からそこに在り続ける静かな生命は、大人が数名で寄りかかってもびくともせずに自分の根っこで立っている。木の葉が天上の隙間を上手に埋めながら、笑うように風に揺れていた。やがて私たちの体は木の中に取り込まれ、日々の憂いなどが解きほぐされて、人間だったことも忘れてしまう…というような妄想をしてみるだけでもずいぶんと心が休まるので、恥ずかしがらずに是非ともやってみていただきたい。
気持ちに余白がほしい夜。気分転換の徘徊をするにはまだ外は寒すぎる。新しく本を読む気にもなれず、長い映画にも手を出せない。もうあきらめて寝てしまおうかと思ったときに、脳の無意識のヘルプなのか、何となく"植物"と検索してみたら一本の映画にたどりついた。30分という尺もありがたい。タイトルに惹かれて再生を押したのだが、気が付いたら映画が終わっていて、迷うことなくもう一度最初から観ていた。金子由里奈監督による短編『散歩する植物』。めちゃくちゃ好きだった。
©イラスト / 根矢涼香
コンビニで夜勤をする奏子は、植物になりたいと願っている。ある日、植物園で画を描いている少年・航と出会う。植物ごっこをする奏子と、鉢植えの木をイヌと呼んで散歩させる航。2人には奇妙な絆が芽生えていく。やがて航には根っこが生えてしまう。
もし植物になることができたらどんなだろう。陽の光をいっぱい浴びて背を伸ばして、雨の日なんかはお祭りで、虫に花粉を運ばれるときはこそばゆいのだろうか。植物園に来た人間のことを、私たちと同じように興味深く、もしくは退屈そうに観察しているのかもしれない。花に毎日声を掛けたら元気になるとか言うけれど、もし自分を育てる人がいて、綺麗に咲いてねと言われて大切に水をかけてもらえたら、その人のために精一杯の美しさを与えたいと思うかもしれない。タイムラプス撮影で捉えられた草花の様子を見ていると、土に根を広げ、空に茎を伸ばし、あくびするみたいに花を開くのはすごく気持ちよさそうだ。せっかちな私たちには感じにくいけれど、彼らは彼らの時間軸で呼吸をしている。
「いいなあお花はそこにあるだけで」と綴られている奏子の日記を捲りながら、物語は進んでいく。コンビニのバイトに立つ奏子はいつもかったるそうだ。人間をやることのダルさをちょうどよく描いている会話のやりとり。低めの声の温度や、劇的でない映像の質感は、疲れきった頭にもするりと浸透してくれる。対比して、画に映る植物園はおいしい空気をまとっている。ああよかった、ここは安全だ、という気持ちになる。奏子は人間力というよく分からない日本語に疑問を抱いていたけれど、ヒト以外にも強く思いを馳せられることが、それであってほしい。奏子と航が築いていく植物的友情をずっと見守っていたかった。尊い。
奏子が植物ごっこのやり方を航に教えてあげるシーンがとっても好きで、実はこの原稿を書くより先に絵の方が完成してしまった。白状すると私も鑑賞しながら布団に寝そべって、まるで瞑想のYouTubeでも見ているかのように、奏子の植物ごっこのレクチャーを受けていた。このまま眠りに就いたっていいのかもしれない。
「この子(鉢植えの植物)の世界は僕だけで出来ています。」と、映画の中で航が言っていた。ならば私の世界の方も、束の間の時間を緑だけにしてみよう。つるつるの葉っぱやサボテンの産毛を慈しむだけで、画面に疲れた目が癒されていく。元をたどれば人もドウブツなのだから、自然を求めるのは生理的に当然のことだ。いい感じに道をはみ出ている枝葉があればハイタッチするし、遊べる草は笹船や冠などにしたい。見たことがない花や木の実を見つけたら観察して、採取したい衝動に駆られる。大人になっても変わらない。私の部屋のテラリウムの苔も種類が増えて、恐竜の卵の殻の化石や、骨みたいな珊瑚を入れて、ミニチュアの原始の森に水をやっては神になった気でいる。こういう時間というのは、生きていて濁ってしまったものを透明にする時間なのだと、映画を観ながら気が付いた。心にも酸素が行き渡る30分間だった。
『散歩する植物』
監督 / 金子由里奈
出演 / 立脇実季、井手尊飛、ミワチヒロ、計良元宏
DOKUSO映画館で配信中
根矢涼香
ねやりょうか|俳優
1994年生まれ。もし人間が花になったら、根っこから栄養を食べて花に子供ができるので、みんな逆さまに土に刺さっているのではないだろうか、犬神家のように。
文・イラスト / 根矢涼香 撮影 / 西村満 スタイリスト / 山川恵未 ヘアメイク / 木内真奈美(OTIE)
衣装 / ワンピース¥37,400/six vorm<問い合わせ先>PR.ARTOS/03-6805-0258
今回の記事を含む、ミニシアター限定配布のフリーマガジン「DOKUSOマガジン」2月号についてはこちら。
⇒DOKUSOマガジン2月号(vol.17)、2月5日発行!表紙・巻頭は外山文治監督×岡本玲、センターインタビューは小出恵介!
お近くに配布劇場が無いという方、バックナンバー購入ご希望の方は「DOKUSOマガジン定期購読のご案内」をご覧ください。
1994年9月5日、茨城県東茨城郡茨城町という使命とも呪いとも言える田舎町に生まれる。近作に入江悠監督『シュシュシュの娘』、野本梢監督『愛のくだらない』などがある。石を集めている。