楽しくおばちゃんになっていきたい ー 高畑勲監督『じゃりン子チエ』【根矢涼香のひねくれ徘徊記 第12回】 2022.9.14
じりじりとした太陽の下にいると、どこか遠い夏の日と繋がってしまうんじゃないかと思うことがある。高熱のアスファルトが空気を溶かし、蝉たちの盛大なお経が思考をぼかし、数々の時間の幽霊を見ている心地がする。ただの熱中症かもしれないが。
夕陽の似合う街並みが好きだ。下校中の学生が自転車で走り抜け、橙に染まった野菜が可愛く顔を並べる。私も買い物袋をぶらさげながら、自転車屋の看板を見てパンク修理出さなきゃなとか、あの映画早く観に行かないと終わっちゃうなと考えているうちにキッチンペーパーを買い忘れたことを思い出して、わあ~と情けない声を漏らしていたら、近頃おばちゃんぽくなったなあと可笑しくなってきた。多分この、ぽさの正体は生活感で、他人のそういう部分を見つけるとなぜか嬉しくてにんまりしてしまう。
映画や漫画で観るような下町の暮らしに憧れていた。育った田舎では家々の距離も離れているため、ご近所付き合いも馴染みがないし、繁華街と言われていた場所はシャッターばかりになっていたので、東京に来てからは商店街が元気なところを選んで引っ越してきた。小さなお店で話を伺うと、創業30~50年そこらの歴史をもつような場所も珍しくない。「歩きスマホをする若者を見てると"歩き新聞”していた頃を思い出す」「昔はどこでもタバコが吸えたのよ」そう話す彼らは、変わりゆく暮しや地域の姿を、変わらずに見守り続けてきたのだと思うと胸がぎゅっとする。生活が染み込んだ彼らの仕草や佇まい、言葉遣いがその人をうんと年上に見せるのだ。
古本屋を物色していたら、一つのマンガが目に入った。1978年から週刊漫画アクションで連載されていた、はるき悦巳氏による「じゃりン子チエ」だ。タイトルは何となく知っているものの、作品に触れる機会を持ってこなかった。調べてみると、なんとあの高畑勲監督がアニメを手掛けており、劇場版もあるではないか。これは絶対観なければ!漫画を捲りたい気持ちをなんとか抑え、すぐさま映画の中に飛び込んだ。
イラスト / 根矢涼香
チエは1968年生まれの11歳。働かない父・テツの代わりに店に立ち、小学校に通いながらホルモンを焼く彼女の夢は、別居中の母親と3人でまた仲良く一緒に暮らすことだった。母と共に休みを満喫していたが、その現場を父に見られてしまう。
まずあらすじを見て、ツバを飲み込む。てっきりほのぼのとした下町物語をイメージしていた。コミカルながらも妙にリアルで、主人公・チエのしっかりさといったら大人顔負けだ。「ウチは日本一不幸な少女や…」自分の境遇を嘆きながらも手元ではせっせとホルモンを焼き、同級生の悪ガキにからかわれたら倍返しで追い払う。ヤーさん相手にも上手に商売をするチエの姿に笑いながらも泣けてしまう。この街では猫でさえたくましい。どことなく暗さをまとう大阪の下町の風景はよく見ると、ヘルスやキャバレーの張り紙や生活困窮者の姿も描きこまれている。キャラクター達の言葉遣いも“きれいに”汚い。令和では炎上しかねない表現の連鎖だろうが、昭和の時代背景や人々の暮らしのリアルを見つけることができる。現代では無くなってしまったもの、今も生き続けていることや変わらずにある問題は何かを考えた。
人物の歩き方ひとつ、飯の食べ方ひとつにも個人の性格は現れる。そういうところの細やかさが、やっぱり高畑勲監督だ、と感動した。人間臭さがたまらない。博打屋のおっさんの涙鼻水の流れ方まですばらしい。道行く人の一人一人がアニメーションの中に生きている。縁日や遊園地のシーンはワクワクを背負って、誰かの子供時代を覗いているようだった。私は大阪に所縁もなければこの頃生まれてさえいないというのに、懐かしさからくる何とも言えない気持ちが押し寄せる。真昼間のようにピカピカと整った都市の便利さにあやかりながらも、夕暮れの空が見渡せる街並みがやっぱり心落ち着くのは、人との距離が高い建物に隔てられず、ただいまと言いたくなる場所に帰りたいと願うからなのか。
子供から大人になる境目は未だによくわからないけれど、何かを切ないと感じる引き出しの数だと私は思っている。もうすぐ28歳になるらしい私は、年々暑くなっていく今日の残暑を歩いている。コンクリート下の記憶を足元で想像しながら、後ろでは転びながら小さな私が付いてくる。困難にぶつかっても、チエちゃんのように笑い飛ばせるくらいの明るさは持っていたい。そして楽しくおばちゃんになっていきたい。目の前を赤いトンボが通り過ぎ、涼しくなっていく季節の便りを受け取った。
根矢涼香
ねやりょうか|俳優
1994年生まれ。『じゃりン子チエ』のお気に入りのセリフは「明日は明日の太陽がピカピカやねん」。大阪弁も相まって、なんだか肩の力が抜けて元気が出てくる。
今回の記事を含む、ミニシアター限定のフリーマガジン「DOKUSOマガジン」9月号についてはこちら。
⇒DOKUSOマガジン9月号(vol.12)、9月5日発行!表紙・巻頭は『犬も食わねどチャーリーは笑う』市井昌秀監督×岸井ゆきの
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文・イラスト / 根矢涼香 撮影 / 豊田和志 スタイリスト / 山川恵未 ヘアメイク / 岡村成美(TOKYO LOGIC)
衣装 / ワンピース¥8470 / Wild Lily <問い合わせ先>Wild Lily 03-3461-4887
1994年9月5日、茨城県東茨城郡茨城町という使命とも呪いとも言える田舎町に生まれる。近作に入江悠監督『シュシュシュの娘』、野本梢監督『愛のくだらない』などがある。石を集めている。