100%の暗闇での体験と映画『ブラインド・マッサージ』【根矢涼香のひねくれ徘徊記 第11回】

根矢涼香

頭が騒がしくて眠れないとき、私は深海へ行ってみる。 敷布団は穏やかな水面に変わり、両手を広げて漂い慣れれば、あとは重さに任せてゆっくりと海の底へ沈んでいくだけだ。藍色から紺青を通り過ぎ、やがて真っ暗闇にたどり着く。水の中はとても静かで、時たま遭遇するのは泳ぐというよりもそこに漂う骨格の透けた魚たち。出会っては別れ、それを繰り返しているうちに短い深海旅行はいつも終わってしまう。

東京・竹芝にある、ダイアログ・ダイバーシティミュージアム「対話の森」。先日友人に教えられ、その施設で参加できるソーシャルエンターテイメント「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」を体験した。1988年にドイツの哲学博士アンドレアス・ハイネッケが発案をし、これまで世界41カ国以上で開催されているという。完全に光を遮断した空間内を、普段から目をつかわない視覚障害者のアテンドで、様々なシーンを“探検”する。

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視覚が遮断され、最初は自分の心音が聞こえるかと思うくらい焦った。私たちを率いてくださったネパール人のニノさんの明るさに救われ、参加者の方々と自己紹介をするうちに落ち着きを取り戻した。

はじめは遠慮がちだったコミュニケーションの輪が開いていく。目を使えない分、他の感覚器官に集中してみると、相手との距離や心遣いを耳で聞き、歩く床の感触や皮膚で感じられる気配、匂いなど、普段感じているつもりで逃しているものが山ほどあることに気が付く。互いに協力し合いながら最後までとても楽しく遂げることができた。

何事も、実際に身体で感じてみるまで分からない。光の下で対面する時よりも闇の中での方が目の前の人を知ろうとするし、見えないからこそ自分自身を伝えようと、よりストレートな話し方になった。そして周囲から離れたときの、むき出しの魂を世界に放り出されたような、孤独。だけど決して弱弱しくはなく、ここに生きている一人の私と、周りのひとりひとりを強く感じられる。純度100%の暗闇の中で、私は件の海底感覚を思い出した。

「目には種類があるの。光が見える目と、闇が見える目が――」
人々の赤裸々な心のやりとりを鮮烈に映した、ロウ・イエ監督の『ブラインド・マッサージ』を紹介したい。

舞台は南京、「按摩」の蛍光看板が光るマッサージ院。ここでは多くの盲人が働いている。明るく、結婚を夢見て懲りずに見合いを繰り返す、生まれつき目の見えないシャー院長。幼い頃に交通事故で視力を失い、まわりの人間が嘘を言うことに絶望し自殺未遂をした過去のある若手のシャオマー。周囲から美人すぎると言われる度にうんざりしている新人ドゥ・ホンは自分の顔を目にしたことがない。シャーの同級生であるワンと恋人のコンが駆け落ち同然で転がり込んできたところから、平穏に思えた院内の日常にさざ波が立ち、渦を巻いていく。やがて彼らはそれぞれに人生の決断を迫られることになる。

イラスト / 根矢涼香

希望の光を模索する各々の人間模様を苛烈に描いた大人の群像劇を、数名のメインキャスト以外は実際の視覚障害者が演じており、コン役のチャン・レイもその一人だ。レンズのピントやボケを使った視覚表現、繊細な音楽(ヨハン・ヨハンソン!)が、より一層彼らの傍へと引っ張ってくれる。

この映画の登場人物は誰一人、虚栄も誤魔化しもなく、自分の欲求に正直だ。彼らが涙するとき、苦しみを伝えるときは、画面を超えてこちらの胸がえぐられる程に痛くて苦しい。妥協のない描写の生々しさにショックを受けるが、皆が同じ人間なのだと、ロウ・イエ監督が突きつけてくれている。時に子供のように彼らが笑いあう光景は、見ているこっちまでどうかこの幸せが続いてほしいと願ってしまう。ここで人々を狂わせるのは、美であり、愛であり、他者への欲求のしわ寄せで、目の見える見えない関係なく人間の昔からの普遍なのかもしれない。誰もが孤独で、誰もが幸せを掴みたい。

普段生活していてどっと疲れるのが、目に入ってくる情報の過剰さだ。見出しが目に痛い動画コンテンツ。電車内や街で見かける美容整形や脱毛の広告看板。物語より刺激を求め、手早く簡単に自分の経験したものにしたがる。ファーストフードのように世界や人と関わることが難しいと感じている私には、この映画と先日の体験が大きなヒントになり、一つの救いになった。ただ「見る」ことよりも、相手そのものをきちんと分かろうとする過程が大切なんだ。本当の美しさは目を閉じて、自分の中でそれを描いてみようとするときに感じるものなのかもしれない。好きな人のにおい、雨の音、友達の笑う声、ふかふかの芝生。

瞼の裏側でも、私たちは光を持っている。包まれる闇の中で自ら発光する深海魚の挨拶のように、互いの持つ温度や心を反射し合う。その場所は、とても明るい。

根矢涼香
ねやりょうか|俳優
1994年生まれ。今回アテンドしてくださったニノさん、ご趣味はスカイダイビングとバンジージャンプだというのに驚いた。すごい。かっこいい。

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『ブラインド・マッサージ』
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文・イラスト / 根矢涼香 撮影 / 豊田和志 スタイリスト / 山川恵未 ヘアメイク / 岡村成美(TOKYO LOGIC)

根矢涼香 俳優

1994年9月5日、茨城県東茨城郡茨城町という使命とも呪いとも言える田舎町に生まれる。近作に入江悠監督『シュシュシュの娘』、野本梢監督『愛のくだらない』などがある。石を集めている。

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