老人ホームとUber Eats配達員のリアル『83歳のやさしいスパイ』『東京自転車節』

ミヤザキタケル

日本では年間1200本以上もの映画が公開されています(2019年の実績より)が、その全ての作品を見ることはどれほどの映画好きでも金銭的かつ時間的にもまず不可能です。

本コーナーでは映画アドバイザー・ミヤザキタケルが、DOKUSO映画館が掲げる「隠れた名作を、隠れたままにしない」のコンセプトのもと、海外の小規模作品から、日本のインディーズ映画に至るまで、多種多様なジャンルから“ミニシアター”の公開作品に的を絞り、厳選した新作映画を紹介します。

『83歳のやさしいスパイ』7/9公開

©2021 Dogwoof Ltd - All Rights Reserved

2021年4月に開催された第93回アカデミー賞において、長編ドキュメンタリー映画賞にノミネートしたマイテ・アルベルディ監督作。残念ながら受賞には至らなかったものの、サンダンス映画祭など数々の映画祭で注目を浴びており、アメリカの映画評論サイトRotten Tomatoesでは94%の支持率を獲得した話題作。

タイトルだけを耳にした時、コメディ映画的な匂いを感じ取る人もいれば、現役を退いた老スパイの哀愁漂う物語を想起する人もいるだろう。しかしながら、本作はドキュメンタリー。そう、フィクションではないのである。

老人ホーム内での窃盗や虐待などを疑った入居者の親族が、探偵事務所に捜査を依頼することが始まり。新聞広告にて80歳以上且つデジタル機器を操作できる人材が募集され、応募してきたのが本作の主人公、83歳の男性・セルヒオ・チャミーであった。実際にはスマホの操作もままならない人物なのだが、無事採用された彼が老人ホームへ入居(潜入)し、疑惑の真偽を確かめていくことになる。そこで気になるのが、スパイ活動をする彼をどのようにカメラに収めたのかということ。

答えはこうだ。「高齢者たちのドキュメンタリー」を作るため、施設内や入居者を撮影させてほしいと老人ホーム側の許可を得たのだ。その上で仕込みを済ませたセルヒオを入居させる段取りが組まれていたのである。それゆえ本編における入居者たちは、カメラを向けられていても気にすることなく、ありのままの姿を僕たちに晒してくれる。だがそこに映し出されるのは、当初の疑惑(窃盗や虐待)の真偽よりも、僕たちが実人生を生きていく上で大切にしなければならないことだった。

©2021 Dogwoof Ltd - All Rights Reserved

それぞれの事情で老人ホームにいる入居者たち。幸せな時間を過ごしている者もいれば、孤独な時間を過ごしている者もおり、その在り方は様々であることが伺える。だが、それらのことは瞬時に見極められるものではない。日頃の佇まいや言動を観察したり、交流を深めていく中でしか判断できない。

しかし、本作のタイトルでも感じた第一印象のように、僕たちは物事の断片だけで多くを判断し、都合良く受け取ってしまいがちだ。それゆえの誤解や衝突も後を絶たない。もう少しだけ歩み寄る努力ができれば、未然に防げることや理解し合える瞬間も増えるはずが、波風立たせず、リスク回避が当たり前の今の世の中において、それを果たすのはとても難しい。

老人ホームや探偵、その他あらゆる代行業者を否定・非難する気は一切ないし、その存在がもたらす恩恵によって救われている人はたくさんいる。だが、本来であれば自分ですべきこと、できることを、他者に任せたり押し付けてしまっている側面も少なくない。スパイとして老人ホームに潜入するセルヒオの姿が、彼のやさしい人となりが、彼を通して垣間見えてくる老人ホームの実態が、きっと多くの気付きをあなたに与えてくれるだろう。

『83歳のやさしいスパイ』
7月9日(金)よりシネスイッチ銀座ほか全国順次公開
配給・宣伝:アンプラグド 
公式サイト:83spy.com
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『東京自転車節』7/10公開

©2021水口屋フィルム/ノンデライコ

2020年3月。故郷・山梨に働き口がなく、奨学金返済のため緊急事態宣言下の東京でUber Eatsの配達を始めた映画監督・青柳拓が過ごした日々を、スマートフォンとGoProで記録した路上労働ドキュメンタリー。

前述の『83歳のやさしいスパイ』に続いてのドキュメンタリー作品の紹介となるが、そもそも、日頃「ドキュメンタリー」と呼ばれる類いのものに触れる機会が、あなたにはあるだろうか。自然と興味が赴く人もいれば、全くもって触れようと思わない人も中にはいる。一口に映画好きとは言っても、劇映画が好きなのであって、ドキュメンタリー映画は対象外という人も中にはいる。

無論、それを否定するつもりはない。が、ドキュメンタリー映画の中にも面白い作品は無数にある。とは言え、著名な人物が出演しているわけでもなく、全く興味のない題材であったのなら、「見てみよう」とは中々思えないに決まっている。その点、本作に限っては扱っている題材的にも当事者意識を持ちやすく、何より、作品としての質が非常に高い。それ故、「ドキュメンタリーはちょっと…」と躊躇している人にこそオススメしたい一本である。

未知のウイルスを前に誰もが不安や恐怖に包まれ、厳しい現実を突き付けられたであろう2020年。人それぞれ置かれていた状況は異なれど、自身や家族のことで精一杯で、他者を気にかける余裕などなかったであろうあの頃。一人の映画監督が直面した現実、自転車で駆け抜けた東京の街並みを目の当たりにしていく中で、同じ空の下で彼とは異なる時間を過ごしていた当時の自分を思い出し、きっと様々な想いを巡らせることになるだろう。

©2021水口屋フィルム/ノンデライコ

ほんの少し、何かのタイミングが違っていたのなら、自分もUber Eatsをやらざるを得ない状況に陥っていたのかもしれない。そんな危機感を僅かでも抱いた経験があればこそ、目にする全てが自分も辿ったかもしれない可能性の一つのように思えてくる。

本編において新宿のアパホテルに青柳監督が宿泊するシーンがあるのだが、奇しくもそこは僕の自宅から数分のアパホテルであり、すぐにでも差し入れを持って駆けつけてあげたくなったが、“今”そう思えるだけであって、あの頃の自分に縁も由縁もない他者を気にかける余裕などありはしなかった。

1年余りの月日が経ち、コロナ渦が日常と化した今と、緊急事態宣言が初めて発令されたあの頃とでは、当然漂う空気も置かれている状況も大きく異なる。心に余裕などなかったあの頃のマインドのままであれば、おそらく本作を真正面から受け止めることなど叶わなかった。良くも悪くも多くに慣れてしまった“今”目にするからこそ、冷静にあの日々を捉えることができていく。ある程度心にゆとりが生じている“今”目にするからこそ、他者が経験したあの日々に寄り添うことが可能になる。つまりは、“今”この瞬間だからこそ目にする価値が、気が付けることが、本作にはたくさん宿っている。

日頃Uber Eatsを利用することはあっても、自らが届ける側になることなど考えてもいない人にとっては、Uber Eatsの仕組みや給与事情を知ることのできるハウツー的な要素を併せ持った作品に映るかもしれないが、言わずもがな重要なのはそこではない。包み隠さず多くを曝け出していく青柳監督の姿を通して、この脆弱で無慈悲な社会、広がっていく一方の格差、形を変えていく他者との繋がり、生きていくということetc…、数多のことが垣間見えてくる。そして、明確な解決策も見出せぬまま、コロナも収束せぬまま、“今”も日々は続いている。僕たちは生きている。

兎にも角にも、あの日々を乗り越え、こうして映画を無事完成させるに至った青柳監督に賛辞を贈りたい。街中で見かける全てのUber Eats配達員にエールを送りたい。見終える頃にはきっとそんな気持ちに包まれているはず。

『東京自転車節』
2021年7月10日よりポレポレ東中野ほか全国順次公開
公式サイト:tokyo-jitensya-bushi.com/
©2021水口屋フィルム/ノンデライコ

気になる作品はありましたでしょうか。あなたにとっての大切な一本に、劇場へ足を運ぶための一本に、より映画が大好きになる一本に巡り会えることを祈っています。それでは、ミニシアターでお会いしましょう。

©2021 Dogwoof Ltd - All Rights Reserved  ©2021水口屋フィルム/ノンデライコ

ミヤザキタケル 映画アドバイザー

WOWOW、sweetでの連載のほか、各種メディアで映画を紹介。『GO』『ファイト・クラブ』『男はつらいよ』がバイブル。

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