『青天の霹靂』――時を超えた、家族の“本当の”物語 2021.6.16
僕の連載である「吉田仁人の映画と日常」は今回で最終回を迎える。このDOKUSOマガジンでのコラム執筆を任された事は、僕にとても光栄なことで、すごく大きな経験となったと思っている。このコラムが普段あまり映画を観ない人や、より深く映画を知りたいと思ってくれている誰かの、有意義な映画ライフの窓口になれていたら嬉しいと思う。
連載終了の知らせを聞いて、タイトルの様な気持ちになられた方もいると思うが、今回紹介するのは『青天の霹靂』(2014)だ。
©2014「青天の霹靂」製作委員会
大泉洋演じる晴夫は売れないマジシャン。小さい頃に母に捨てられ、父とも絶縁状態。踏んだり蹴ったりな状態の晴夫に今度は父の訃報が。父の死んだ場所に訪れた晴夫は、青天の霹靂で40年前にタイムスリップし、自分を捨てた母と出会い、若き父とコンビを組んで浅草のステージに立つことになる。悲しき彼に、このタイムスリップは何を与えるのか。劇団ひとりの書き下ろした小説が原作であり、自身が監督をも務めた、珠玉の感動作。
未熟な自分を悔やむ時、親を大切に思う。
©2014「青天の霹靂」製作委員会
幼い頃は誰もが多くの大人に怒られてきただろう。また、「怒られているうちが花」と言われた事があるのは僕だけじゃないはず。しかし自分が歳を重ねて(と言ってもまだ21歳だが)気づいたのは、怒ることはかなり面倒だという事だ。本当にその人を思っていなかったら怒りすら湧き上がらないのが事実だ。
僕の名前の由来は「仁(思いやりのある)人(人になりなさい)」という両親の願いが込められている。
他所の家庭と比較するわけではないが、僕は割と厳しく育てられたと思う。「プリントを早く出しなさい」という細やかな事から、人として大切な事まで。当時の僕は大半を聞き流していたのだが、最近ようやくその全てが重要な内容だったと理解した。聞いているかすら分からないような僕に、常に言葉をかけ続けてくれた両親は、紛れもなく愛に溢れた人だ。
今は名前負けしない様に、自力で心懸けている。
この作品も家族の愛がキーポイントだ。現在のところまだタイムスリップは不可能だが、過去で多くの出会いと経験をする晴夫に誰しもが共感し、自分の歩んで来た道を振り返るきっかけになるだろう。
心を洗う「スカッとする映画」
©2014「青天の霹靂」製作委員会
僕はこの作品を初めて観た時、「綺麗」という感想が何よりも早く浮かんだ。画の一つ一つやセリフの言葉遣い、役者の目の輝き…全てが鮮明で、その美しさに強く惹かれた印象がある。
その展開は「悪を成敗!」でなく、「奇跡の勝利!」でもないが、本作を観てからは、見る景色が変わるだろう。
最後に
という事で、ラストは『青天の霹靂』を紹介しました。このコラムで興味を持って、観ていただけると幸いです。
実はこのコラムを書かせていただくお話を伺った時、やりたい気持ちとプレッシャーが50%50%でした。笑
だって本当の映画好きさん達が足を運ぶ場所だもの!!
でも二つ返事で「やらせてください」と言いましたけどね。やりたかったもん。
寂しくはありますが、出会いと別れは付き物。またどこかで僕が偉そうに書いたコラムがあれば、少し目を通してくれると嬉しいです。
では。吉田仁人でした。ありがとうございました!!