7時間18分の映画『サタンタンゴ』と、天使が通る店の思い出 2021.2.17
「1秒間32セット意識を飛ばしちゃったよ」──ハンガリー映画『サタンタンゴ』(1994年)の第一部を見終えた直後、友人が口にしたひとことである。
2020年2月某日──私は、高田馬場駅から徒歩3分のあたりに位置する名画座・早稲田松竹にて、親愛なる友人とともにこの映画を見た。ご存じない方のために解説すると、タル・ベーラ監督による本作『サタンタンゴ』はかなりの長尺映画だ。7時間18分にもおよぶ作品で、三部に分けられて上映された。そんな本作の日本での本格的な封切り日は、2019年9月13日のこと。製作から25年の時を経て、“4K デジタル・レストア版”として初上映と相成ったのだ。
タル・ベーラ監督の『ヴェルクマイスター・ハーモニー』(2000年)、『倫敦から来た男』(2007年)、『ニーチェの馬』(2011年)のファンである私は『サタンタンゴ』の日本公開を心待ちにしていたものの、封切りからおよそ5ヶ月も出遅れてしまった。それはなぜかと聞かれれば、やはりもちろん長いから……。ひとりで行くのには気が引けて、足踏みしていたのである。
そんなおりに友人と、“長尺映画を見る会(仮)”を結成した。私たちはともに1990年生まれで、結成当時は29歳。人によって程度の差はあるのだろうけれど、集中力は散漫になりやすく、悲しいかな身体は20代前半の頃と同じようにはいかないことを感じていた。とくに膀胱の機能は低下し、頻尿の心配もある。これでは長尺映画を見るのはどうにも億劫。
「これから長尺映画を見られる機会は減っていくのでは……?」──そんな一抹の不安が一致した結果、ともに手を取り合おうとはじまった会なのだ。それに、旅に仲間がいると心強いように、ときとして“映画の旅”にも友がいると心強い。友人は第一部だけで32回も“時をかけた”が、私も15回くらい同じ体験をした。これがもし一人旅であれば、第二部までのインターミッション(途中休憩)の間に家へと引き返すか、あるいは旅先で“ふて寝”をしていたかもしれない(ちなみに第二部と第三部では一度も意識を飛ばすことはなかった)。他者と体験をともにするのは尊いことである。
ともあれ、私たちはふたりして、どうにかこうにか約7時間の旅を終えた。そうすれば、その後にすることはひとつしかない。もちろん、飲酒である。とうぜんのことだが、旅先(鑑賞中)で一杯ひっかけることはなかった。旅を終えたいま、思う存分に飲もうではないかというのである。
そうして私は友人を連れ立って、早稲田通り沿いを20分かけて歩き、「二十二坪」という居酒屋の暖簾をくぐった。私がここを訪れるのはこのときが二度目。新型コロナウイルスが日本で猛威をふるい、誰もの身近なものとなる直前のことだった。
この「二十二坪」は、居酒屋然とした立派な門構えの店内に、昔ながらの建築様式の街が広がっているような不思議なつくりの店だ。扉を開けば愉しいお酒と、お店を切り盛りするお母さんの家庭的な料理が待っている。シンプルな玉子焼きなどのつきだしに、名物・ホーレン草サラダ、おでん、お刺身、どれも美味しい。アサヒの瓶ビールを友人と注ぎ合い、グラスを傾け、“旅”の思い出話(映画の感想)を語り合いながら、舌鼓を打つ。至福のひとときだ。
ビールに飽きたら日本酒に切り替え、それに合わせた肴をお母さんにお願いする。旅の疲れを癒やすためにこの店を訪れたのはもちろんだが、なによりここのお母さんに会いたかったという思いが個人的に強くあった。初めて「二十二坪」の暖簾をくぐったのは2019年の暮れのこと。ちょうど「M-1グランプリ」が放送されている夜であった。
早稲田大学演劇博物館で開催されていた「追悼 映画女優 京マチ子展」に足を運んだあと、その余韻にひたりながら、ひとり早稲田の街をふらふらと歩いていた。憧れの女優である京マチ子の、見る者を射抜くようなあの瞳を思い出しながら。これまでに見てきた、彼女の出演した映画のシーンの数々を思い出しながら。このまま帰りたくはない──そんなおり、「二十二坪」を見つけたのである。
その日は雨とあって(もしくは「M-1」を放送しているからか)、カウンター席には私ひとり。お母さんとは初対面ながら、差し向かいで酒を飲むこととなった。ふだんはアレコレとしゃべる方ではない私だが、初めて訪れた居酒屋とあれば話は違う。しかもなにを注文しても、どれも美味。そのうえこの日は冬至でもあり、お母さんはかぼちゃの煮物を出してくれた。こうなれば黙々と飲んでいる方が失礼というもの。一つひとつの料理の感想を述べたのはもちろんのこと、お店の成り立ちや、お母さんの思い出話もありがたく拝聴した。
そんななか、ときおり沈黙が訪れる。これは初対面なのだから当然のことだし、そもそも酒の席で会話が途切れることはどんな関係性においても起こり得る。むろん、先に述べた友人との間にだって訪れる。この沈黙の訪れを「天使が通った」と表現したりするが、お母さんとのそれは、まさにこの表現がぴったりであった。彼女とのおしゃべりの時間は愉快だが、この瞬間もまた心地いいのだ。
酒場好きの私にとって「また来よう」と思えるのかどうかの決め手は、慌てて話を継がなくてはならないような「悪魔が通る」ものではなく、やはり「天使が通る」店である(ここでは、客に沈黙の気まずさを感じさせる店の是非について述べることはやめにしておこう)。
さて、ここまで長々と記してきてお気づきの方もいるかと思うが、『サタンタンゴ』はタイトルからも分かるとおり、“悪魔”が登場する物語である。早稲田松竹での鑑賞直後に自然と「二十二坪」へと足が向いたのは、偶然ではないと思う。旅の疲れもあった。酒が飲みたいだけであれば店はいくらでもあるし、「二十二坪」まで20分かけるなら、ほかの店に向かう選択肢もあった。しかしどうしても、風通しがよく、「天使が通る」あの「二十二坪」へと行かなければならなかったのだといまになって思う。
『サタンタンゴ』の舞台は、ハンガリーのとある村だ。この村に、“死んだはずの男”・イリミアーシュが帰ってくる。彼は救世主なのか? それとも?──これがこの物語のはじまりだ。そんな本作に、生涯忘れられないであろうシーンがある。それはイリミアーシュの帰還を知った人々が、その得も言われぬ恐怖心から酒に逃げ、飲んだくれて踊り狂い、トランス状態に入っていく場面だ。このまま永遠に続くのかというほどの長回しで、そのおぞましさに、見ている私たちも途中から気分が悪くなってくる。いま私たちが暮らす世界は、あのシーンに似ているように思えてならない。
『サタンタンゴ』を鑑賞し、「二十二坪」へ足を運んで間もなく、劇中に描かれているような“見えない恐怖”に、私たちの世界も“コロナ禍”というかたちで突入した。それからしばらくして、「二十二坪」は長い歴史に幕を下ろした。その理由はここには書かないでおこう。あれから私たちの世界にも暗雲が立ち込め、足元さえよく見えないほどに暗い。しかしあのお母さんのクールな笑顔と、切れ味鋭いひとこと、そして「天使が通る」心地いい時間を過ごした記憶があるからこそ、ここまでやってこれたような気がする。
逃げるための酒ではなく、前に進むための酒を飲める場を探したいといつも思っている。しかしそれがいまは難しい。だからこそ心のなかに、いつも「二十二坪」を。いつだって、天使のささやきが聞こえる。