「あの世」を見る体験──とある湖畔での夜と『餓鬼が笑う』

折田侑駿


©OOEDO FILMS

「あの世」を見たことがある。

それは、過酷な体験をしたときや、高熱にうなされている程度の例えとして使われる“地獄を見た”、あるいは“まるで悪夢”というようなものではない。本当に、“あの世を見た”のだ。私はいまこの文章を都内某所のにぎやかなカフェで書いている。穏やかな平日の昼下がり、店内にいる誰もが笑顔だ。私はいま、「この世=現世」にいる。

古今東西の映画にはさまざまな「あの世=冥界」が収められているが、昨夜観た『餓鬼が笑う』もそんな一本であったというか、作品そのものが「あの世」のような映画だった。つまり、とてもこの世のものだとは思えず、ともかくマトモ(正常)ではないのだ。


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画面から目を離さぬように注意深く、それでいて大胆に、アルコール分25%の麦焼酎「かのか」のお湯割りを2杯、3杯、4杯……と重ねたことも影響しているのだろうが(この鑑賞態度に対するお叱りは、どうかここではゴメンこうむりたい。とはいえ私レベルの“飲みプロ”になると、こんな芸当も可能なのである)、物語が進むにつれて、何が起こっているのか理解が追いつかなくなる。どんどんどんどんどんどんどんどんどんどんどんどんどんどんどんどんどんどんどんどんどんどんどんどんどんどんどんどんどんどんどんどんどんどんどんどんどんどんどんどんどんどんどんどんどんどんどんどんどんどん現実感が失われていく。


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なにせ主人公の青年が“骨董”と“愛”をめぐって、いつしか地獄めぐりをすることになる物語なのだ。たしかに、人や土地の「記憶」が多層的に染み込んだ“骨董”と、「感情」を激しく揺さぶる“愛”というものは、「地獄」への回路に繋がりやすいのかもしれない。ともかく青年は「あの世」にタッチするのである。

たったこれだけの情報だと、いったいなんのことか分からないだろう。しかしどれだけの文字数を用いたとしても、この『餓鬼が笑う』がどんな映画であるのかを正確に伝えるのは不可能だ(厳密にいえばどんな映画もそうなのだが)。ただ、「あの世」が、それも「地獄」が見られる、という一言に尽きる。そんな本作は2022年12月24日に封切られるらしい。これが真の『ナイトメアー・ビフォア・クリスマス』である。


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──冒頭の話に戻すと、私が見た「あの世」は数年前、友人たちと訪れたとある湖畔での夜のこと。それまでキゲンよくハートランドビールをあおっては「青春」や「人生」について饒舌に語っていた私は、不意にいつもの人格を失ったらしい。満天の星の下、目の前には漆黒の闇が湖と溶け合っている。なにかに魂を持っていかれるのには最良のシチュエーションだ。

友人らによると、何度止めても湖に向かって進んでいくことをやめようとせず、やがて錯乱状態に陥ったのだという。だが、私にそんな記憶はない。私が覚えているのは、ススキに囲まれた靄のかかった湖を、小さな舟が横切っていく光景だけ。それをたったひとりで見つめていた。そのモノクロームの映像は、溝口健二のいくつかの映画のワンシーンのようだった。


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舟は閻魔あいが漕ぐものに似ていたため、あれは「地獄」に向かっていたのかもしれない。お酒の飲み過ぎが原因で地獄を見たことは何度もあるが、人は思いがけぬときに本当の「あの世」を垣間見るようだ。それはあらゆる「記憶」と「情念」とが蠢く場でのことなのである。

もしも友人たちが止めてくれなかったら、当然ながら私はいまこんなことを書けてはいない。そしてこれ以上のことを、想像したくはない。酒を口にするたび、さんざん迷惑をかけてきた。極楽にいくのは難しいだろう。しかし、餓鬼道だけはゴメンである。


『餓鬼が笑う』
監督・脚本・編集 / 平波亘
出演 / 田中俊介、山谷花純、片岡礼子、柳英里紗、川瀬陽太、川上なな実/田中泯、萩原聖人
公開 / 12月24日(土)より新宿K's cinema 他
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折田侑駿 文筆家

“名画のあとには、うまい酒を”がモットー。好きな監督は増村保造、好きなビールの銘柄はサッポロ(とくに赤星)。

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