『鳩のごとく 蛇のごとく 斜陽』に美しき酒器あり

折田侑駿


 酒器が好きである。シンプルな蛇の目、陶芸家の友人が作ってくれた一点モノ、グラスやお猪口は旅先で自宅用の土産にしょっちゅう買ってしまうので、そこそこの数と種類が我が家には並んでいる。小さな一杯飲み屋と同じくらいあるのではないだろうか。来客があれば小噺のひとつとともに自慢してしまうほど、大切で思い入れのある品々だ。

 そんな私なのだが、器の“強度”にこだわるあまり、上等なガラス製品には手を出したことがなかった。どれだけカッコをつけてもただの酒飲みのささやかな趣味である。高価で繊細なガラス製品を手元に置いておくのは怖い(何より酔っていると手元がおぼつかない)。しかし私は『鳩のごとく 蛇のごとく 斜陽』を観て、ついに手を出してしまったのである。

 本作は太宰治によるあの『斜陽』を映画化したものだ。それもなんと、増村保造監督と脚本家の白坂依志夫が遺した草稿脚本を元に、いくつかの増村作品で助監督を務めていた近藤明男監督が脚本を仕上げ、メガホンを取っている。描かれているのは、華族制度の廃止により没落貴族となった女性と、彼女を取り巻く人々の関係。時代の転換期に立たされたひとりの女性の視点で、当時の「社会」のある側面が見えてくる。


 この世界観を彩るのが、1934年創業のクリスタルガラスメーカーである「カガミクリスタル」の品々。グラスに注がれるアルコールや、照明の具合、そして各登場人物を演じる俳優たちの手で傾けられることによって、その表情と輝きは豊かに変わる。私はそれを、実際に手にしてみたいと思った。いや、手にしなければならないと思った。一度でも何か強烈な思いに囚われると、もうどうにも止められないタチである。

 先にその名を記した増村保造といえば、私のもっとも敬愛する映画監督である。彼の作品に登場するのはいつも社会の道徳や倫理観といったものから逸脱していく者たちだ。日本人のリアリティからはかけ離れており、自己実現のためならば自己犠牲をもいとわない。そんな者たちに、絶えず私は心惹かれてきた。しかし、私たちの誰もが彼の作品に登場する者たちとは真逆の人生を歩んでいる。そもそも時代が違うのだから、当然だろう。映画などのカルチャーは、社会を映す鏡だ。もしも昭和の時代に増村監督が『斜陽』を撮っていたならば、映画の力点は違ったはず。少なくとも、鏡は鏡でも「カガミクリスタル」は登場せず、グラスは“洋酒を注ぐ以外の行為”にも用いられていたと思う。それでも『鳩のごとく 蛇のごとく 斜陽』には、ヒロインが体現するような“増村的エッセンス”が残りつつ、現代的な作品に仕上がっている。この現代性を表象するのが、カガミクリスタルの存在でもあるのだ。


 私が手にしたグラスは、安くはない。まかり間違っても貧乏な物書きが安酒を注いでよいものではない。無印良品やデュラレックスの定番品を愛用してきた身からすると、慎重に扱わねばならない一級品だ(言うまでもないが、無印良品にもデュラレックスにもそれぞれの素晴らしさがある)。やはり、大変な時代を渡り歩いてきた“MADE IN JAPAN”の重みはすごい。

 私は増村監督の信奉者だが、令和の時代を生きる人間だ。いまこの時代、彼の映画の登場人物たちのように振る舞うことはそう簡単ではない。けれども私はこの時代に則したかたちで、自分なりの“自己実現≒個人主義”の姿勢を貫いていきたいと思う。かたわらには、その身を琥珀色に染めた新たな相棒がいるのだから。それではみなさん次号まで、グッド・バイ!


『鳩のごとく 蛇のごとく 斜陽』
原作 / 太宰治
監督 / 近藤明男
脚本 / 白坂依志夫、増村保造、近藤明男
出演 / 宮本茉由/安藤政信、水野真紀、奥野壮
全国公開中
©2022『鳩のごとく 蛇のごとく 斜陽』製作委員会

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折田侑駿 文筆家

“名画のあとには、うまい酒を”がモットー。好きな監督は増村保造、好きなビールの銘柄はサッポロ(とくに赤星)。

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